カタルーニャ リポイからフランスへ越境、カベスタニーを求めて

前回のベルガから東に進むと石の聖書で知られるリポイがある。この街には4度目になるだろうか、いつも宿に苦労する。マリア聖堂近くの、4000円台で泊まれる安宿を予約したが、ないないづくしの宿であった。朝3時に寒さで目覚め、眠ることもできず、予定していなかったフランス側のカベスタニーを見に行くことにした。4時過ぎに宿を出発、真っ暗で少し霧模様の道をコル・ダルの峠に向かう。上の日の出写真が峠からのもの、ピレネーの山並み深く、感動の日の出であった。その峠を下った最初の街が写真のプラ・ド・モロ・ラ・プレストである。新鮮な朝日にフランスの大聖堂が輝きを見せる。この先に、カベスタニーの世界がある。 

地図内の赤い印をクリックすると教会名が分かります

国境のコル・ダル峠

小刻みな連続カーブに、時折、Uターンに近いような厳しいカーブが混ざる峠道、暗いうちに差し掛かったので、わき見もせず、あまりスピードも出せず、却って安全だった。嘗ての国境検問所跡らしきものがあったが、今は標識の表記がフランス語に変わるだけで、越境の感慨はない。3月下旬でかなりの寒さなので路面凍結を心配したが、滑ることもなく、他に走る車もないので、無事通過できた。途中には雪を頂いたピレネーの凛とした山並みも眺められ、この時期の山岳ドライブを楽しめた。

Centre de sculpture romane Maître de Cabestany

カベスタニー親方、マスター、彼は誰ですか?

「この12世紀の匿名の彫刻家についてはほとんど知られていません。 彼はどこから来たのですか? 彼は宗教的でしたか? 彼の作品の年代順はどうですか? なぜ彼はトスカーナとナバラに引っ越したのですか? 彼は一人でしたか、彼は弟子を持っていましたか? まだ今日までに未完成のままになっている多くの質問や他の多くのもの。 研究者は説明と解釈を提起し続けます。しかし、彼の人となりと仕事は謎に満ちたままです」

『Centre de sculpture romane Maître de Cabestany』HPの一部抜粋

ピレネー越えのフランス側に、ペルピニャンという都市があるが、その南東部にカベスタニーの名前が残る街がある。市街は新興住宅が並び、趣はあまり感じないが、中心公園地区にカベスタニーの彫刻を説明する資料館がある。展示物のほとんどが複製品ながら、スペイン、フランス、イタリアの各地に残るカベスタニー彫刻の説明が、分かりやすく、一堂に見られる。

“カベスタニーの親方”と呼ばれる石工がいたことを伝え、その作風は力強く、見る者の心を捉える。特に、手の表現がアンバランスに大きいのだが、不思議に違和感を感じない。日本でいえば、運慶のような彫刻家かなど、上に紹介したHPにあるように、勝手に自分なりの見方を巡らすことも楽しめる。

Parish Of Cabestany

カベスタニーのオリジナルをカベスタニーの街で見れるのは、住宅に囲まれ細街路に面した、この教会の彫刻のみである。撮影者としては、なんとも残念な保存状態ながら、やはり、手の大きさと各人の目力に迫力を感じる。

カベスタニーを最初に見たのは14、5年前になるだろうか、ニューヨークのメトロポリタン美術館分館のクロイスターズであった。ヨーロッパ各地の教会の彫刻や回廊、壁画等を集めて、まるでオリジナルであるかのように再構築した教会様式の美術館で、妙に存在感を放つタンパン彫刻があった。それが、カベスタニーであることを知ったのは、後年であったが、やはり、心を捉えて離さないオーラを放っていた。

上に掲げたタンパン彫刻に話をもどすと、この右手の大きさである。キリストの顔より大きい。そしてマリアの開いた両手、これもよく観察すれば、不自然なほどの大きさである。何故の大きさであるか、謎解きの楽しさを見るものに与えてくれるが、全体の調和は崩れていない。このタンパン彫刻のテーマは両脇で表現されているマリアの昇天であるらしいが、やはり、それぞれの登場人物の存在感に目がいく彫刻であった。

Eglise Sainte Marie  Le Boulou

カベスタニーの街から25㎞ほど南行するとル・ブール―という街があり、ここにもオリジナルのカベスタニー彫刻が残されている。サンタマリア教会の大理石の扉口の上部を飾る帯状の浮彫で、テーマは「羊飼いのお告げ」から始まり「キリストの誕生」「マギの礼拝」「エジプトへの逃避」等々である。保存状態が良いとはいえず、老いた眼にはその区別が難しく、望遠レンズ越しに確認しながらの作業となった。レプリカがカベスタニーの展示施設にあったので、その写真とも見比べてみる必要があった。ただ、そこに表現されている人物たちの生命力あふれる所作、カベスタニー彫刻の真骨頂にも思われる。

Cloître et Eglise Saint Michel

ル・ブール―の近くで、カベスタニーではないが。ロマネスクの魅力を伝える帯状の浮彫彫刻に出会った。彫りは浅く、技術的には荒いところも見受けられるが、栄光のキリストのその目には有無を言わせぬ気迫があった。この教会が建てられたのは9世紀といわれ、この浮き彫刻が作られたのは、周りに刻まれた銘文から1120年と推測されている。この時代を生きた人々の神への畏敬と自身の魂の有り様を体感する、浮彫であった。

Église Abbatiale Saint André

Cloître et Eglise Saint MichelのあるSt Genis des Fontainesの隣町、Sta Andre de SoredoにもSaint Michelと同じ石工の手による帯状の浮き彫刻がある。中央に栄光のキリストを配し、左右に鳥居型のΑ(アルファ)と足の先のように見えるω(オメガ)があるところまでは同じである。ただ並ぶメンバーに変化があり、こちらには天使がいる。比べれば、こちらの表現には装飾性と幾らかの優しさを感じ、同じ石工であっても、教会の性格によって微妙な違いを表現した、ということなのだろうか。こうしたことを読み解くのもロマネスクを探る楽しさでもある。さらに、扉口上部の窓を飾る意匠にも、風化が激しいが確かな彫りの技術と繊細なデザイン力が宿っていた。

Abbaye Sainte Marie Arles sur Tech

ル・ブールーから南西に20㎞ほどピレネーに分け入れば、アルル・シュル・テックの街に至る。この教会には上の十字架を見るために立ち寄った。荘厳のキリストが中央を占め、四福音書記者が十字のそれぞれの端を占める。ロマネスク初期のものとされる十字架で、古拙ながら、力尽く、思いの伝わってくる十字架であった。ロマネスクとしては、セラフィムの壁画があり、顔を見れば、意外と今日的で、驚く。回廊は初期のゴシックといわれ、規則正しい石柱の並びにリズム感があり、心地よい。もう一つ、この教会には、『聖なる墓』と呼ばれる水が湧く4世紀の石棺があったらしいのだが、残念なことに見落としてしまった。

Ripoll Antiguo Monestir de Santa Maria

リポイがカタルーニャの政治的宗教と学問の中心であった時代、紀元1000年頃の威勢を留めているのが、石の聖書といわれるサンタマリア修道院の扉口の彫刻群である。19世紀に大火に会い、損傷を受けてはいるが、前に立てば、ロマネスクの大彫刻との対峙が待っている。そのスケール感に圧倒されるか、己の魂に刻み込んでいけるか、楽しむ瞬間でもある。現在は、彫刻の保護のため、ご覧のような建屋が建てられ、保護されている。何ゆえ、神の門として、ここまでの構えが必要であったか、その歴史への興味は尽きない。また、ここの2階建ての回廊にも見事な柱頭彫刻が残され、回廊そのもののスケール感とともに、楽しみたい。訪問時には、柱頭彫刻の作成年代を示した案内板があるので確認を。特に1200年代のロマネスクのものは回廊北側面に多くあると記されている。

Frontanya Iglesia de Sant Jaume

ベルガからリポイに向かう道すがら、山に分け入る形で、立ち寄ったのが、この教会である。数戸の集落を従え、聳えていた。外観を撮影していると、教会の隣の家から出てきた男性が、教会の鍵を開けてくれた。感謝である。内部に装飾的なものは何もないが、この石積みの精巧さには驚かされる。きれいな弧を円蓋、リブを構成するアーチ、その柔らかな表現に釘付けとなる。祭壇には黒い聖母子像がひっそりと置かれ、質素な空間に、和を加えていた。

San Juan de las Abadesas Iglesia

この教会、自分にとってカタルーニャロマネスクへの興味を導いてくれた教会である。20年も前になるか、初めてこの教会を訪れた時の驚きと感動を忘れない。その後のロマネスク詣でにより、ロマネスクの多様性に驚かされたが、当時はこの祭壇を飾る木彫の磔刑像が、生々しく深く胸に刻み込まれた。当たり前だが、今も変わらぬメンバーによる磔刑像である。尋ねるこちらが年齢を重ねたせいか、キリスト、マリアが妙に若く感じられた。自分にとっては宝のような存在の磔刑像となっている。

Monestir de Sant Pere de Besalú

リポイから50㎞ほど東進すると、ベサルーという街に至る。ロマネスク探訪には外せない街である。この街が城塞都市であったことを留める11世紀頃の石橋が今でもしっかり残り、中世の都市への旅気分を盛り上げる。街の中心広場にはサン・ペレ修道院がどっしりと構えている。ファサードを飾る2体のライオン像は、その足元に添えた職人の遊び心と共に見逃せない。そして内陣の柱頭を飾る、マギやエジプトへの逃避の彫刻群は、どれも質が高く、所々に感じられるユニークな表現力もあり、見飽きることはない。

Antic Hospital de Sant Julià

サン・ペレ修道院のすぐ脇にこの救護院が残されているが、ここの重厚な扉口を飾る柱頭もまた、見逃せない。サン・ペレの柱頭に比べれば、繊細さとペーソスを感じる彫りで、救護院としての性格を考えてのものであるかのようだ。

Iglesia de San Vicente

狭い路地の奥にこの教会の初期ゴシック様式のファサードが見える。教会が先にあったのだろうが、軒を接するような狭さで、教会の全景を撮るのが難しい。

ロマネスクは後陣と側面の扉口にある。内部には入れなかったが、中を見られるようにガラス窓が付いていたので、質実剛健な3身廊の様子や石積みの曲面を利用し、装飾を廃した祭壇の見事さは、なんとか眺めることができた。

下に紹介したのは側面の扉口を飾る彫刻群である。なかなかに、精巧な彫りで、かなり恐ろし気なテーマではあるが、よく見れば、その力み方が微笑ましくもあり、楽しいものでもあった。

Casa MarcialからのAbsis Santa Mariaの後陣

偶然なのだが、泊まった宿のレストランから、見事な後陣が望めた。庭に出て、案内板を確かめると、12世紀のサンタ・マリア教会であるという。今は、この後陣部分しか残っていないらしく、宿の主人の話では、週に1回の割合で、見学ができるということであった。庭伝いに上っていけそうではあったが、一応管理された文化財なので庭からの眺めだけに治めた。さらに、旧市街地の高台にある宿に駐車場がなく、道路脇に車を止めたが、その正面にもロマネスクと思える小教会があったが、こちらも、開いている時間ではなく、内部を確かめられなかった。ベサルーは、最初の訪問では確かめられなかったことが多く、再挑戦して一泊したのだが、それでもなお、ロマネスクの懐は深く、届かなかったようである。

Canònica de Sta. Maria de Vilabertran

ベサルーからさらに東に向かう。フィゲレス市の北東部の郊外Vilabertranにこの教会はある。春の最初の訪問時には昼までの開館時間に間に合わず、開いてはいなかった。ただ、駐車場から眺める円形後陣の外観や12世紀に完成したとされる鐘塔のロンバルディア帯の整然とした意匠に、心惹かれるものがあった。秋、2度目の訪問で中に入れた。現在でも、ミサはもちろん、コンサート等にも使われている教会らしく、この日はグランドピアノの調律が始まっていた。2本の円柱に支えられたアーチが規則正しく連続する回廊、居心地がよく、響くモーツァルトを聞きながらの幸せな時間となった。

Monestir de Sant Pere de Rodes

さらに東に、地中海を見渡すサン・サルバドール山の中腹に、この地理的条件を利用した城塞のような教会はある。いまは教会としては廃墟ながら、そのロケーションから観光施設として蘇って、中にはレストラン、カフェ、土産店が並ぶ。カベスタニー彫刻のレプリカやこの教会の構造、所々に残された柱頭彫刻などもあり、ロマネスク心がくすぐられる。このホームページのタイトルを飾る写真もここのものである。

サン・ペレ・デ・ロデスから峰伝いに10分ほど歩くと、Ermita de Santa Creu de Rodesに着く。完全廃墟の教会ながら、歴史は古く、974年の教皇ベネディクトの書簡にその名が記されている。創建当時は単身廊であったが、後に3身廊へ拡張され、現在残されている形に近いものとなったとある。教会を中心に集落が構成されていたようだが、14世紀のペスト、海賊の襲撃、マヨルカ島への移住等のいずれかの理由により、衰退が始まったとされているが、海を臨む、フォトジェニックな佇まいが人気で、人々を多く集めていた。

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