ピレネーをめぐるロマネスク<2> バスクとアラゴン

バスク東部からアラゴンにかけてのロマネスクはその地形ゆえか、かなり状態の良いものが多く残されていた。ピレネーの山際近く、その懐に抱かれるように点在しているので、効率的に回るにはクルマでなければならないエリアでもある。ロケーション、彫刻類の質、保存環境と完成度、どれも心に響くロマネスクであった。

ウエスカからアルケザールに向かう山道で出会った光景 Congost de Mont-Rebe
ウエスカからアルケザールに向かう山道で出会った光景 Congost de Mont-Rebe

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怪しく生き生きとした彫刻群の蠢き Artaiz/Iglesia de San Martin

 朝一番の澄み切った空気の中でこのロマネスクに出会った。その佇まいに惚れてしまう。なんともバランスがいい。鐘楼の高さ、屋根の重なり、後陣の慎ましやかな丸み、幾多の戦禍をくぐり抜けたであろう外壁の風化とその色合い、今は静寂の中に静かに佇んでいる。近寄れば、その壁や持ち送りを窮屈そうに支える人物彫像たちの苦しみ、怒り、悲しみ、妬み、さげすみの昇華が見事であった。

ファサード一枚のロマネスク Ujué/Ermita de San Miguel

 尾根沿いに曲がりくねった道を進むと、やがてウジェの街が現れる。一段高い丘の上に巨大な修道院がある。この修道院はゴシックで目的のものではない。この町並みを回り込み、下りきったところに廃墟になったロマネスクがある。ファサードが一枚壁となってその歴史を伝えている。刻まれた柱頭はほとんど溶けていて、何を伝えたかったは不明ながら、人々の叫びのようにも見える。そのタンパンにはクリスモンが浅く残っていた。朽ちたファサードとローマ神殿を思わせる列柱、ここではどのような営みがあったのか、かつての栄華に思いめぐらす舞台は整っていた。

優しげな大天使ミカエル Biota/Iglesia San Miguel

 サン・ミゲル教会はビオタの街の中心にある。ここでは南側の扉口を飾る柱頭や持ち送りの彫刻群の質の高さに驚かされる。きずついた部分も多いが、なんとも見事な彫りであるのだ。さらにタンパンの彫刻、大天使ミカエルを中心にしたものである、よく見かける勇ましいミカエルではなく、優しい立ち姿に、戸惑い、やがて気持ちが安らぐ。ここの彫刻はサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院の柱頭を彫った人々の手によるものと聞いて、その質の高さを納得した。

シュールなマギの礼拝が見事 Uncastillo/Iglesia de Santa María

 ウンカスティーリョの名前が示すとおり、11世紀には、城が築かれ、レコンキスタの重要な拠点の街で、幾つもの教会があった。丘の上の教会は現在ビジターセンターとなり、街の歴史を伝えている。そこにも柱頭彫刻が掲げられていて、写真下段の6枚がその後陣と柱頭である。麓には、サンタ・マリア教会がある。重要なロマネスクで、南扉口を飾るブシュールにはこれでもかというように細かな彫刻が並ぶ。柱頭も細かく柔らかく丸みを持たせた彫りで、情念までもを感じさせてくれる。上は西扉口の上部を飾るロマネスクのマギの礼拝である。彫りの質、構図へのこだわり、意味の伝え方、どれも一級品であった。

丘の上の宗教都市 Sos del Rey Católico/Iglesia de San Esteban

 左のトンネルをくぐり抜けると上の写真の階段脇の出口に出る。ちょっと変わった趣向だが、この教会が2段重ねであるからだ。時間ぎりぎりで下の教会を見ることはできなかったが、上の教会には滑り込めた。扉口に立つと、分厚いブシュールを飾る、数々の彫刻群に圧倒される。ここのものははかなり風化が激しく、溶けかかっているものも多くあったが、エジプトへの逃避や受胎告知と思われるものや奇怪な動物たちも数多く見られ、引き込まれる。そのアーチを支えるのは人物円柱で、ヤコブの骨を発見したとされる隠修士ペラヨの像もある。タンパンも傷みは激しいが、よく見れば荘厳のキリストがプリミティブな姿を見せる。教会もそうなのだが、この街は二つの丘の上に中世の城塞都市として造られた、いまもその名残の城や館、教会も多く残されていて、ゆっくりと時間をかけて歩くべきだった。

フランスセンスの彫刻群 Sangüesa/ Iglesia de Santa María la Real

 クルマの往来の激しい、T字路交差点の道路際にサンタ・マリア・ラ・レアル教会は建っている。かなりの交通量があり、クルマの合間を縫っての撮影となった。ファサードには凄い数の人物像が彫られいたが、聖人も地獄に落とされる罪人たちも等しく排気ガスの洗礼を受け、困惑の体ではないかと気になった。

 彫刻の印象は、フランスのコンクのサント・フォア聖堂を思い起させるタンパンだが、そのはずで、フランス人彫刻家の手によるものであるらしい。卓越しているのは群像表現。特にイエスに向かって右側、地獄に向かう人々、タンパンのアーチを利用して、膝を曲げる角度を段々に変えることによって、反り返り、後ろから地獄に落ちていく様の表現力、説得力はまさに神業である。横位置遠近法?ともいうべき手法がここにはあった。左は礼拝堂内の聖母子像。奇を衒うものはなにもなく、素直にこの地の母性を受け止められるマリアであった。

ザビエルゆかりの城 JAVIER

 レイレの修道院に向かう途に宣教師ザビエルゆかりの城があるということで寄ってみた。訪れる観光客が多いためか、巨大な駐車場が用意されていて、地域一帯が公園のようになっている。上の写真に見える、アーチの扉口が城付属の一部ロマネスクの教会となっているようだ。ちょうど結婚式で中には入れなかった。花嫁、花婿を乗せるクラシックカーも用意され、人生の旅立ちに花を添える準備は万端だった。羨ましくも、このよな本物の城の教会で式を挙げられる、スペインの若者たちに幸あれである。

祈りの光溢れ、祈りの声響く Leyre/ Monasterio de Leyre

 夕刻といっても8時近かったが、レイレのサン・サルバドール修道院に着いた。ここにはホテルも併設されている。この形、何度か経験しているが、清潔、簡素、厳粛さがあり、ロマネスクを巡る旅には欠かせない宿である。教会の扉は閉まっていた。翌朝暗いうちに起き出し、教会に向かう。扉口は温かくやわらかな光に包まれ、心地良い。静寂の中、ミサでの祈りの言葉が響き、五体に染みわたる。不信心者ながら、厳かで清らかな空気感に浸る。扉口を飾る柱頭の彫りはどこまでも柔らかく、石であることを忘れさせるほど曲面表現が見事であった。

グロテスクな後背を戴く山村 Agüero/Iglesia de San Salvador

 山影を回り込むといきなり上の写真の光景に出会う。グロテスクで巨大な山塊を背後に控えアキュエラの村があった。まるで劇画のような光景であった。これもアラゴン・ロマネスク・ドライブの醍醐味である。ここに来るまでもこのような岩山はそこここに見られたが、特に、この形は群を抜いている。大地の褶曲運動の賜物と言ってしまえばその通りなのだが、ここは、神の御業と思いたい。

 村の真ん中にそびえる塔を目指す。タンパンには四福音者に囲まれた栄光のキリストがあったが、柱頭を飾るやせ細った人面の表現に鋭さがあった。ただ、この教会は目指していたサンチャゴ教会ではなく、サン・サルバドール教会とあった。創建は12世紀と記されていた。違う教会であったが、スペインらしい表現の濃さを感じられるこの扉口に出会えたのは幸運であった。

ロマネスクの高貴 Agüero/Iglesia de Santiago

 上記のサン・サルバドール教会と向かい合う形の丘の陰にサンチャゴ教会はある。岩山が迫るわずかな敷地を利用しているためか、建物に窮屈感があるが、ここの彫刻群は高貴で秀逸であった。マギの礼拝が扉口のタンパンを飾り、柱頭彫刻も格調高い。特に、教会内の祭室の壁を帯状に飾る彫刻群が目を引く。照明が十分ではなく、肉眼では見づらいが、よく見れば、一体一体生き生きとし、その躍動ぶりが伝わってくる。何のための彫刻体であるのかは不明ながら、この時代のスペイン人の飾るセンスにはいつもながら感嘆させられる。

原罪のアダムに出会う San Juan de la Peña/Monasterio

 この顔、この仕草、人類最初の男の言い訳の姿か、エバとの原罪を神に問われた時のアダムの表情である。エバを剥ぎ取られたいまも恥じらい、哀願している姿に、余計に切なさを感じてしまう。ただ、実物を見るとその切なげな表情の奥に居直ったふてぶてしさも感じられて、何度か写真では見てはいたが、やはり現物を見なければ伝わらないものもある。

 今回の旅の自分なりのハイライト、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院である。クルマで訪れるとこの神殿の前には駐車できない。必ず、この前を通過して、2km先の頂上の駐車場に車を置き、ビジターセンター発着のツアーバスを利用することになる。見学も乗り合わせた客が即席の団体となり、ガイドと共に見学をする。一番下の写真の修道院がそのビジターセンターの役割を担っている。

地方豪族の紋章が並ぶ Santa Cruz de la Serós

 サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院に向かう麓の街にあるロマネスクである。ローターリーには道しるべ代わりにどこかから移築されたと思われる塔が建てられていた。

こうした遊び感覚が、ドライブを楽しいものにしてくれる。

 サンタ・クルス教会は非常に背の高い教会であった。タンパンにはペーニャ修道院でも見られた、地方豪族の紋章やクリスモンと思われるものが掲げられ、柱頭も持ち送りの彫刻群も彫りは素朴で、楽しげなものが掲げらていた。

山の要塞ロマネスク Siresa/Iglesia de San Pedro

 サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院から北へ向かい、ピレネーに分け入る。アラゴン・スボルダン川に並走するルートは快適だった。前方に2000m越えのフォルカ山容が迫り、ぐんぐん高度を上げていくことが実感できる。やがて、シレサの山村に着く。これまでのロマネスクとは全く違う、要塞のようなサン・ペドロ修道院が現れる。すべてがごつい。外壁から扉口までの厚みに驚かされる。冬はそれほど厳しいということか。タンパンにも肉厚なクリスモンが彫られ、こうした表現が暮らしぶりと無縁ではないことを感じさせてくれる。後陣の屋根の持ち送りに動物たちの彫刻が見えるが、ここでは遥か後方に聳える山稜とこのいかつい修道院の風景を楽しむべきか。ここでも、扉は固く閉ざされていた。

端正な石積み壁 Aisa/ Iglesia de la Asunción

 シレサからアイサに向かうルートは、快適な幹線路から離れ、本格的な山岳ルートとなった。狭いカーブが続き、ヘアピンの連続箇所も多く、緊張が必要。ただ、狭いながらも簡易舗装(上写真)がなされ、乗り心地は悪くはない。アラゴンの荒々しい山容を眺めながらのドライブは新鮮で楽し。

 アイサのアスシオン教会は完全に閉められていた。見たところ外壁には装飾的な彫刻類はなく、扉口の造りはただただ大きな石が積み上げられているだけあった。鐘楼の屋根は新しい時代のものであるようだが、石組みの美しさ、隙のないこじんまりとしたバランス、山岳地帯の小ロマネスクの有り様を実感できる教会であった。眺めているうちに晴れていた空がみるみる曇りだし、パラパラと雨が降り出した。変わりやすい山の天気を体感する。

洗練された柱頭彫刻群 Jaca/Catedral

 ハカの大聖堂は込み入った市街の真ん中にある。カフェのテント下から南扉口のギャラリーが眺められ、柱頭彫刻もしっかり見える。大聖堂はロマネスクとしては最も古いものの一つと言われているが、その後、大幅に手を入れられている。 中に周辺の教会から集められたロマネスク、ゴシックの柱頭彫刻や壁画を展示した博物館があり、別室のように仕切った空間に極彩色のドーム型天井画や壁画が据えられ、美術的価値を演出している。ハカ自体はサンチャゴへの巡礼路の街として栄えた歴史があり、市街を護るために造られた五稜郭風の砦が有名で、広場が市民に開放されていた。夕暮れといってももう8時近かったが、たくさんの親子連れが思い思いに遊ぶ姿に心和む。

1000年のロマネスク Lárrede/Igresia de San Pedro

 曇り空の中、ハカから翌朝一番に訪れたサン・ペドロ教会。遠い国道からもこの端正な鐘楼が望める。資料によれば、聖堂もこの鐘楼も11世紀の創建時のままであるという。異なる色の石材を利用した巧みな模様に心和む。後陣の端正な美しさを支える盲アーチと円柱帯のデザイン力にも感心する。寄り添うように立つ鐘楼もバランスがよく、均整がとれている。単に石積みの教会であったが、なぜこれほどまでに、心惹かれるのか。朝一番に見るにふさわしい教会であった。 

個人用の聖堂? San Juan de Orús

 道に迷ったおかげで出会えたロマネスクであった。この聖堂個人所有なのか、一軒の農家の敷地に建っていた。クルマの音を聞きつけて、ご婦人が出てきて、カメラを見て、中を見たいかと聞く。英語での質問にこちらもうんうんと頷くと、開けてくれた。簡素ながら、しっかりと石積みされたアーチが綺麗な弧を描く内陣祭壇に気持ちを通わせる。端正な石積みにはフランスの影響を感じさせられるが、詳しいことは分らないとのことだった。壁に飾られていたものはビザンチン風であったが、聞くとベネチアに行った折に買い求めてきたものであるという。たとえ、土産ものであっても、本物の聖堂の中ではそれらしく見え、微笑ましく、この家、この家族そして飼い猫たちの純な祈りが伝わってくる思いであった。

 

イスラムが色濃い Catedral de Huesca

 ウエスカはイスラムに征服されていた時代が長く、大聖堂を飾る中心の塔などにもその影響が見える。いまは完全なゴシックの聖堂で、他の都市の大型化した聖堂と比べれば、それほど近寄り難くなく、市民にも人気のようだ。

 中には美術館があり、この地方の聖母子像や聖オビスポの像などが見える。ロマネスクのものとしては、アラゴンでは良く見られるクリスモンや石棺の側面を飾る、植物文様が見事だった。マリアの顔形は表情、作風の違いもあるが、高貴さというより庶民的な感じで、身近に感じられた心和む。この地のいづれかの聖堂を飾っていたものではあるが、12世紀のものであるという。

夕刻近く、街歩きをしたが、商店街が並ぶ中心街にお年寄りから赤ちゃん連れが集い、楽し気に談笑する姿がおおくあった。

回廊を飾るペーニャの彫刻群 Monasterio de San Pedro el Viejo/Huesca

 ウエスカのロマネスクのハイライトはサン・ペドロ修道院の回廊である。サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院の柱頭を彫った同じ職人が彫った数多くの柱頭が見られる。主題はおなじみのものばかりで、オリジナルと復元のものが並ぶが、人物はどこまでも丸みを帯び、柔らかく、優しげで、アーモンド形の目には飛び出した目の玉がのせられている。それが違和感を感じさせない、説得力を持っている。なんとも不思議な力を持った柱頭彫刻群である。入り口を飾るタンパンにはクリスモンがあったが、こちらは正統派を思わせ、格調高く、しっかりした彫りのものであった。

この景観とプリミティブな柱頭 Colegiata de Santa María la Mayor

 土地の名前も見た雰囲気もイスラム世界にいるような感じであった。崖と同化したようなモスク風建物の中にロマネスクの貴重な柱頭がある。40度近い炎天の中、かなりきつい勾配の坂をのぼり、やっとこの城のような教会の入り口にたどり着く。中は別世界であった。日影はひんやりとして居心地がいい。目的の柱頭だが、やはりここまで来るかいのあるものだった。本能に突き動かされたような表現の具現化ともいえる柱頭が数点あり、魂に響く。こんな最後の晩餐の表現があるのか、究極のプリミティブ表現とでもいうべきか、驚きと感動であった。。

砦の町のサンタ・マリア教会 Ainsa/Iglesia de Santa María

 アインサは両側を川に挟まれた丘の上にある街、地政学上の要衝だったらしく、砦が残されている。街の広場を囲む石積みの館は、その足元をスカートのようなアーチで統一されていて、この広場を掘れば、完全な形のアーチが出てくるように思われた。

 サンタ・マリア教会は広場の奥の外れにあった。西の扉口を飾るブシュールは整然として美しく、その飾り柱に並ぶ柱頭には子どものいたずらのようなモチーフが彫られ、微笑ましい。上の壁に小さなクリスモンが穿たれていた。アラゴンでのキリストはどこまで行っても象徴化されていた。内部はロマネスクらしい簡素な内陣ドームを持ち、清々しい。聖水盤側面の彫り跡は触られ続けたせいか、形がみえず、摩耗していた。

クリプタの宝と柱頭彫刻 Roda de Isábena

 ロダ・デ・イザベンナの街はカタルーニャとの州境近くの山の上にある。ほとんど人家のない原野を突き進み、一気に丘を駆け上って行く。ここではクリプトと回廊の柱頭を見たかったのだが、クリプトは開いていなかった。中にマギの礼拝や受胎告知が彫られた12世紀頃の石棺があるのだが、縁がなかった。扉口にある柱頭は、かなり風化しているが、内容の濃いものが並ぶ。受胎告知、エジプトへの逃避、神の手、表情や形が不確かなものになればなるほど、見る側の想いを、膨らませてくれる。なんといっても、この教会近くのテラスからこの地方のゴツゴツ感満載のスケールの大きな山々の姿を眺められるだけでも、ここに来るかいがある。

石積み芸術の完成形 Veracruz/ObarraMonasterio de Santa María

 カタルーニャのボイ谷に向かう途中、緑豊かな谷にこの修道院はある。車は手前の駐車場に止め、車道脇をしばらく歩き、谷に下りる。この緑に包まれたような谷の道がいい。やがて、左写真の石積みのアーチ橋を渡り、サンタ・マリア教会に至る。ここも時間外れのため開いていなかったが、周りを囲む峰々と修道院のマッチングを楽しむ。ロンバルディア帯がアクセントとなった外壁、高潔さがただようシンメトリックな後陣の石積み、不思議なデザインの柱頭、神の空間としての優しさを感じる。やや離れたところに小ぶりで簡素なサン・ペドロ教会がある。石積みの文様と穿たれた小ぶりの窓だけのアクセントながら、背後の岩山との程よい調和を見せ、眺め入ってしまった。

 

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