山のロマネスク、里のロマネスク 3 ー岩越和紀ー

 昨年の春旅の3回目、ブルゴスとレオンを結ぶ巡礼路の北側、山塊深く踏み込んだロマネスクの紹介である。この地はレコンキスタを生んだ峻険な山岳地帯だが、その峻険さがロマネスクをも守った。特に柱頭や持ち送りといった彫刻類の現存率が高く、山のロマネスクの面目である。

4月3日Burgos-Moarves de Ojeda-Santa Eufemia-Cervatos-Nogales de Pisuerga-Rebolledo de la Torre-Burgos

エル・シドと大聖堂の街 ブルゴス

 ブルゴスには清々しい空気が流れていた。歴代の英雄たちが刻まれたサンタ・マリア門前の散歩道を歩くと、芽吹きだした柳の葉が、アルランソン川を生き生きと飾り、ブルゴスの凛とした早春の空気を楽しめる。道の突き当りの小さな広場に、この街の守護神のようにエル・シドの勇ましい騎馬像が建てられていた。子どもの頃見た映画「エル・シド」のチャールトン・ヘストンの雄姿が浮かぶ。ただ、現代の宗教戦争は映画のように単純ではないが。

 ブルゴスにはスペインの三大ゴシック建築に称えられる巨大な大聖堂があるが、もともとゴシックとして13世紀初頭から300年の歳月をかけ完成したという。この大聖堂を一周していた時に目に止まったのが、後陣にあった帯状の彫刻であった。ロマネスク的表現であったが、年代は定かではない。遠目には猿かと見えたが、鬼か天使も交じり、何事か語り掛けてくる。わずかな痕跡ながらロマネスク的なものに出会えれば心楽しい。

サン・ファン・デ・バウティスタ教会の “大行進” モアルベス・デ・オハーダ

 今は人里離れた山村に、いきなり、このような、教会が現れた。道路側からはロマネスクらしい後陣が見えるだけだが、回り込むとアーケード状のパネルが現れる。扉口のタンパン替わりと思われる彫刻パネルだが、荘厳のキリスト、四福音書の象徴と12人の聖人たち、雨風に曝され、全体に風化があるが、威風堂々‟キリスト一族の行進”である。もう一つこの教会の驚きは聖水盤である。キリストや聖人たちを刻む聖水盤も数多く見てきたが、この表現には、驚かされた。正面のキリスト、顔をよく見れば修復の跡が見え、もともとこのような顔であったかは疑わしいが、稚拙な単純表現の故か、衣の襞一つ一つ細かな刻みと相俟って、怪しくもあり、凄みもあり、であった。発している気も尋常ではないものがあった。

サンタ・エウフェミア・コスエロス聖堂の不思議空間

 モアルベス・デ・オハーダから、車で5分ほど走るとすぐにこの教会が現れる。なんと牧場の家にくっ付くようにこの教会はあった。どういう経緯か分からないがこの教会はここの主人の所有であるらしい。一般の牧場に乗り入れるように車を進め、教会のファサードに近づくと、ご主人が出てこられ、教会のカギを開けてくれた。この辺りの教会の見学料は2ユーロであるらしく、どの教会でも同じ金額を支払った。

 教会はロマネスクの宝の山であった。柱頭彫刻や磔刑のイエス、聖母子像に美術的価値を感じるものが多く、心奪われる。カメラを構えるのが楽しい時間でもあったが、左の聖母子のように、年代が不詳のものもあり、教会内の一画が、修復のアトリエのようところもあった。また、博物館のように他の教会の聖母子像などのコレクションも陳列されていて、祈りの空間としての役割をあまり感じることはなかった。なんとも不思議な空間であった。

アギラーレ周辺の道路は良く整備されていて、走り易い。ところどころで、ポプラ並木もあり、ドライブの目を楽しませてくれる。ただ、水分補給やランチ事情は大きめの限られた街で摂るしかなく、パンやサラダ用の野菜、ペットボトル等は買えるところがあれば多めに仕入れておきたい。あとはガソリンスタンドが頼り。ほとんどのケースでミニ・コンビニ的な役割を持っていて、簡単な食事から本格的なレストランの味まで楽しめるところもある。

ロマネスクの完全形としてのサン・ペデロ教会 セルバトス

 アギラール湖を過ぎA67をさらに北上、緑多い原野に変わる頃、セルバドスという村に到着する。ここにも重量級のロマネスク、サン・ペドロ教会がある。歴史的には12世紀末に現在の形になったと考えられているが、9世紀末には母体となった修道院があったとされている。珍しく写真を撮っている先客がいた。邪魔をしないように南面の扉口に回る。そこには息をのむようなロマネスクの世界が広がっていた。ファサードには聖人、天使、アダムとエバ

が掘られ、扉口は瀟洒な深いブシュールが立体感を演出、柱頭やタンパンにはイスラムの影響を思わせる細かな格子が見られる。特に目を引いたのは、風化の激しい聖母子(下写真欄上段中)簡素で素朴な彫りながら母としての慈しみ、温かさが伝わる聖母子であった。ここも扉が閉まっていた。 

撮影を続けるうちに、1台のバンが現れ、荷物を教会堂内に運び出した。ラッキーとばかりに、入り込む。素晴らしい柱頭に囲まれた内部だった。どうも結婚式の準備らしかったが、時間がかかることを祈りつつ、撮影を続けた。この辺りの柱頭には群像の表現が多く見られ、前述の二つの教会との類似点もあり、特徴と見るべきなのだろうか。 そして外回りの持ち送り彫刻の充実ぶりには驚かされる。個性豊かなキャラクターの競演であった。一つ一つと対峙している時間はとても取れなかったが、日本の漫画の妖怪お化けの類に似た造形も含まれていた。

ノガレスのサン・ファン教会での出会い

 この教会では、カメラのISO感度を間違え、明るさ色ともかなりおかしな写真となってしまった。写真は兎も角、彫刻類は質的に見るに値する教会である。案内人は口達者な老婦人であった。彼女の家がこの教会の下にあるらしく、車を停め、教会に向かうと小柄な老婦人が現れ、添うよに歩きながら、「チャイニーズ」、「ヤーパン」と尋ねる。教会内に入るや否や、ここを撮れ、あっちを撮れとご命令がくだり、彼女の順に従わなければ、物事が進んでいかない。ただ、この婦人の人柄か、そうしたことが嫌みではなく、親切心から出ていることを感じさせてくれて、何か心温まるのである。そう言えば最近日本にはこうした口やかましくも温かい大人が減ったように感じる。この教会の見どころは聖水盤、彼女の説明では大天使ミカエルとのことだが、翼が見えず?ながら、デザイン的には隣の植物のまとめかたなどなかなかに楽し気で、良いものであった。ただ、台座との質感が違い、修復ものであるようだったが。

物語りの柱頭 トーレのサン・フリアン・イ・サンタ・バシリサ教会

 ノガレスから暫く東進すると大地の様子が変わっていく。樹木を押しのけ岩肌が露わになり、盛り上がり、荒涼とした風景が広がる。日本ではあまり見ることのない大地だ。そうした荒れた山肌に一つの集落が見えだし、教会の尖塔が聳える。トーレの教会である。

 教会の佇まいが一目で気に入る。ロマネスクで見れば、小アーチが続く南面のポーチだが、全体はゴシック、ルネサンスに改築されている。こちらの目にはモサラベの影響があるようにも見え、なんともエキゾチックなのだ。ここも扉は閉まっていたが、柱頭や持ち送り彫刻の質は高く、お決まりの植物文様があり、さらに説話的な物語がしっかり刻み込まれている。持ち送りで目を引くのは、楽器を奏でる人々、その思索にふけるような表情が良い。柱頭は繊細な彫が特徴で、騎士同士の戦いの場面や竜やライオンの動きに命を吹き込んだような躍動感が見え、驚かされる。 もう一つ、ポーチの西側窓の上部を飾る浮き彫も見逃せない。繊細な彫の場面の中にアダムとエバが隠れている。そのデザインとしての質の高さにも脱帽である。この彫刻に関しては珍しく彫った人の銘が残っており、この窓の外側にファン・デ・ピアスカとあった。

全体的にスペインの山道は厳しい。カーブはきつく、勾配もかなり急で、道幅も狭い。それも一定ではなく、極端に狭い箇所が随所にあらわれる。今回走ったエリアでは対向車に会うこともほとんどなかったが、それだけに、油断は禁物。カーブの奥から猛スピードの対向車が現れ、ヒヤットする瞬間もあった。稀にだが、対抗してくる自転車もかなりスピード上げてくることもあり、こちらが上り坂の場合は細心の注意を。またこのエリアはガソリンスタンドも少なく、燃料計が半分を示したら、給油を。

4月4日Burgos-Tobera-Tejada-San Pantaleón de Losa-Vallejo-Siones-Fruiz

 山里トベラ 断崖足下の教会堂

 ブルゴスから北西方向に約80km、1時間半の距離にトベラという山村がある。その村から南の山側に少し上った場所にこの教会堂はあった。実はこの教会堂の存在は現地の写真で知ったのだが、そのロケーションに魅力を感じたのである。荒々しい断崖の真下にこの教会堂はあり、近づくと、一層岩肌が迫り、恐ろしいほどであった。鍵は開いておらず、外観だけを眺めるだけであったが、扉口の重厚なブシュールとそれを飾る聖人、聖女の浮遊、単純な構図ながら超ド級のロマネスクばかりを見てきた目には、こうした単純、簡素なロマネスクも、新鮮なものに感じられた。

コミカルな聖人が迎えてくれる サン・ぺドロ・デ・テハーダ教会

 テハーダには春と夏の2回通った。春は季節外で、敷地にも入れず、金網越しの撮影となった。紹介するにはあまりにも材料足らずだったので、夏のカタルーニャ行の時にもう一度訪ねた。今度は敷地も教会内部も入れ、ファサードを飾るなんとも愛らしくコミカルな十二使徒の浮き彫を見ることができた。この楽しい表現力はどこからくるのだろうか。これほど親しみ易い聖人たちの彫刻表現であれば、往時の人々も教会内に入り易かったのではないかと思われた。

 この教会は9世紀中頃に創建された修道院が元となって、現在の形は12世紀後半にできたとされている。外周の持ち送りや柱頭にも見るべきものが多く、中には発禁ものの構図まであり、ロマネスクのおおらかさの一面に触れる想いだ。そして、去り際にはもう一度このファサードのコミカル聖人たちに挨拶をしたくなってしまうのであった。内部は案内人の女性により、撮影禁止であった。

テーブルマウンテン上のサン・パンタレオン・デ・ロサ礼拝堂

 ロサはご覧のように劇画の世界のような光景を展開する。傾斜気味のテーブルマウンテンの大地にこの礼拝堂は載っている。実はここに来るまでも、同じような形状の大地がそこここにあった。車でこの大地の上にある駐車場まではたどり着けるが、小型車でなければ、道幅狭く危険である。むろんガードレールなどもない。この駐車場からさらに急傾斜の上りを徒歩で登りきると、礼拝堂のファサードが迎えてくれる。驚いたことに、このような山上の小礼拝堂であるのに、ロマネスクとしての彫刻類の質は高い。特に、扉口を飾る意匠、何者かの人物像(アダムか)や折れ曲がった飾り柱、閉じ込められたように見える人物表現のデザイン的アイデアに造り手の遊び心も見え、楽しい。後陣に回るにはさらに急傾斜を登る。窓を飾る付け柱にも多くの柱頭があり、こちらも質も高く、登る苦労を忘れさせてくれる。この礼拝堂は13世紀初めに聖パンタレオンに献堂されたという。 

サンタ・マリア・デ・シオネスのおもしろ人面と動物たち

 夕暮れが近付くころ、山々を回り込み、この村にたどり着いた。当然鍵は開いていなかった。住宅街の奥まった一角にこの教会はある。ここにはまた外側だけでも多くの柱頭や持ち送りの彫刻がある。それも一つ一つがユーモラスで楽しく、見飽きることはない。外面で秀逸だったのが、左写真の後陣を飾る窓だった。柱頭を飾る人面のふざけ顔に苦笑し、アーチの上では、何の寓意かキツネがウサギを追いかける姿が彫られ、その間を飾る、象徴のようにも見えるメダイヨンも魅力的で、デザインとして質の高さを感じる。他にも、一筋縄ではいかない人面を穿ったものもあり、何故か罪人のように顔を半分隠した人面(妬みの表現か)やカメやトリやキツネ、クマ?なども現れ、楽しみ多い見学であった。ここの、創建は12世紀末との説が有力である。

 ‟情念の柱頭”との対峙 サン・ロレンソ教会 バイェホ・デ・メナ

 なにか、この佇まいを見ていると、この教会が背負ってきた歴史の重さや凄みのようなものを感じてしまい動けなかった。これまで何人の人々が踏みしめてきたのだろうか、この黒い石積みの階段を。上れば、ファサードが迫り、その扉口を飾る柱頭には深い情念が刻まれていた。門を入る前に佇んで、これらの柱頭と対峙する時間が必要であった。ここでは、ちょうど教会の関係者が作業中で、中に入ることを許された。たくさんの柱頭があり、アダムとエバを始め、多くの人物の顔が刻まれていた。訪れる人々はそれぞれの想いをこの顔にぶつけ、何を祈ってきたのだろうか。創建は12世紀初頭とされ、聖ヨハネ騎士団に寄贈さたものであるらしい。

プリミティブな抽象表現の柱頭 フルイツ

 ビルバオに戻る途中にピカソが描いたゲルニカの街を見たく寄ったのだが、その途中のフルイツで見つけた街のロマネスク教会である。見るべきは扉口を飾る柱頭なのだが、刻まれた人物像はこれまでのロマネスク的ものとは違い、異星人を思わす顔と縞柄のしゃれた衣装をまとい、素朴で、プリミティブな抽象表現となっていた。

これはこれで、ロマネスク表現の自由さと、幅の広さを感じて、なかなか楽しかった。

帰国はビルバオからであったが、この街を流れるネルビオン川の河口にあるビスカヤ橋が見たく、寄ってみた。パリのエッフェル塔を作ったエッフェルの弟子アルベルト・パラシオの設計による橋で1893年に完成した。運搬橋と呼ばれる橋で、吊り下げられたゴンドラに人や車が乗り、そのゴンドラが渡し船の役割をする。川の上をゆっくりと浮かぶように進むゴンドラの揺れが楽しく、人気であった。一度に人を300人と車6台を運ぶ。往時のスペインの技術力に敬服である。

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