山のロマネスク 里のロマネスク 2 ー岩越和紀ー

2回目は、オビエドからレオン、ブルゴスというサンチャゴ巡礼路の中心都市とその巡礼路沿いに点在するロマネスクを訪ねる。カスティーリャの赤く乾いた大地に育まれた里のロマネスクはどのような表情を見せるのか、期待が膨らんでいた。

 

地図内の赤い印が訪問した教会の場所です。左の一番上の印(オビエド)から南下、レオンを経て東のブルゴス方向に進んだ。

3月25、26日 Oviedo

オビエド 大聖堂の礼拝堂カマラ・サンタ

オビエドの中心市街に近づくと雨が上がり始めた。ホテルは大聖堂近くにとっていた。夕刻、大聖堂に向かう。ロマネスク+簡素なゴシックという感じのファサード、遠慮がちなその佇まいが一目で気に入る。ただ光がなく、モノクロームの世界で重苦しい。周りを一周しているうちに雲が切れ始め、陽が落ちる寸前に一気に強い光が差し込んできた。とたんにファサードが輝き、精気に満ちる(上の写真)

この教会にはロマネスクの宝が残されている。カマラ・サンタという礼拝堂だ。元々この礼拝堂は、プレ・ロマネスクの時代アルフォンソ2世によって建てられ、ロマネスクに改築されたが、その後、幾多の戦火の時代を生き抜いてきた。礼拝堂の中に踏み入ると、その綺麗さに驚かされた。修復され、洗われ、まるで新しい礼拝堂にいるような気分だ。手許の資料や写真では、修復前の状態しか見ておらず、その歴史を感じることに価値があるように思えていたが……。キリストの顔の彫像や人物円柱なども綺麗に拭われ、戸惑う。ただ、そんなこちらの思いとは関係なく、安らかに眠るキリストの静謐さに触れた瞬間、沈黙させられた。四隅と壁の真ん中を飾る6本の円柱の聖人たちの表情も生き生きとし、面白く、二人のヒソヒソ話がこちらにも聞こえてきそうであった。このほかに『アストーリアの勝利の十字架』やアルフォンソ2世による『天使の十字架』など質の高いロマネスクを見ることができる。

オビエド 翼を広げたようなサントゥリャーノ教会

 朝、ホテルの窓から陽が射していた。目の前に緑豊かなナランコ山が広がる。今日はナランコ山の二つの聖堂を訪ねる予定だが、その前にオビエドのもう一つのロマネスク、サントゥリャーノ教会に行く。ここもアルフォンソ2世が9世紀に王家の霊廟として建てた礼拝堂である。丘を下った高速道路のすぐ脇にこの教会はあった。昨日までの雨で広場はぬかるんでいたが、空気が澄み渡り、石積みの教会が際立つ。後陣から眺めると幾重にも重なっている屋根がまるで翼のように見えた。内部は壁一面の極彩色世界だったことを窺わせ、所々に、その壁画の一部が残されている。ほとんどの壁画は剥げ落ち、何を表現しているかは浅学の身には分からないが、これからの修復のためか、見学者への配慮か、元図の線画が描かれていた。この工夫もさることながら、柱間のアーチを飾る、連続する丸模様も楽しい。色使い、形共にオシャレなのだ。小学生の一団が課外授業でやってきた。この歳からこのようなデザインの世界に触れられれば、センスも良くなるというものだ。扉上に掲げられた、アストゥーリアの『勝利の十字架』にその誇りが凝縮されているようだった。 

オビエド・ナランコ山の二つの聖堂

ナランコ山

  昼からナランコ山に向かう。晴れ渡った空が気持ちを高める。ヘアピンカーブが続く坂道の前方に、サンタ・マリア・デル・ナランコが姿を表す。9世紀にラミロ1世が夏の離宮として建て、その後は聖母に奉げる礼拝堂として用いられてきた。外連味のない立方体の高床式の建物、中に入れれば、2階のテラスからオビエド市街が眺められるのだが……。

内部の見学をと思っていたが、入口には14:30までとあった。時計を見ると14:20、ガイドの女性もいたが、相手にしてもらえず、扉を閉められてしまった。歩いて10分程のサン・ミゲル・デ・リーリョ教会に向かうがこちらも同じ女性が管理しているらしく、扉は閉ざされていた。仕方なく、建物の外壁を眺め回る。サン・ミゲルはアストゥーリア様式の建築なのか背の高いスマートな形をしていて、黄味掛かった外壁と赤い屋根瓦の輝きに見とれる。サンタ・マリアは西面の造りに感心させられた。一階の扉口、二階のテラスのアーケード、その上に三階の小さなアーケードが続く。全体の幅とも絶妙のバランスで、紋章風の丸い浮き彫り、柱頭ともにすべてが計算し尽くされている感じがし、見飽きることがない。また、ここからは、オビエド市街を一望でき、その市街越しに雪を頂いたピコス・デ・エウロパ山脈が望める。雲が多めながら、時々の光が無彩色の世界に鮮やかな色を与え、神々しく輝く。 

上の2枚の写真がサン・ミゲル聖堂、下4枚がサンタマリア聖堂

3月27日Oviedo-Santa cristina de Lena-León

サンタ・クリスティーナ・デ・レナの孤高

  レオンに向かう。雨が降りやまない中、峠の途中でサンタ・クリスティーナ・デ・レナ教会に寄る。霧が覆う中、丘の頂に虚飾を排した石積みの建物が見える。近づくには、クルマ1台がやっと通れる水たまりだらけの道を登らなければならない。上り詰めると晴れていれば緑の天国のような空間があり、人を拒むように固く大きい石組みの教会があった。ここは7世紀の西ゴート時代に建てられたが、イスラムの侵攻によって、一度壊され、その後9世紀にラミロ1世によって再建されている。教会を一周しながら、その外観を眺める。下部を大きないかにも重そうな石で固め、上部にはなるべく軽めの小さな石が配され、それらが、外壁に心地よいリズムを与えている。そして、ここでもアストゥーリア建築の特徴か、全体がすらりと高い。そのアンバランスのためか、ごつい支えの石積みの柱が、要所に付けられ、なにか極北に建てられている教会のようであった。この地はそれほどまでに、厳しい気候なのかと。教会の立つ丘からの眺めは素晴らしく、生憎の雨模様ながら、辺りの山々への霧や雲のかかり具合がまたこの教会の佇まいを盛り上げてくれる。この麓をこれから向かうレオンに抜ける高速道路が延びていた。ここもこの時期、訪問者お断り状態だったが、この石で守られた空間にどのような天国があるのか、想像を巡らし、立ち去るよりなかった。 

   レオンへの峠は雪であった。最高地点と思われるところに駐車場があり、降りてみたが、吹き付ける風に凍えてしまう。それでもなんとか扉をあけ、高台に立ち、山々の頂に向かってシャッターをきる。頬も、指も感覚がなくなるほどに冷たい。雪にはならない氷雨が顔に角を立てる。痛く、寒すぎる空間なのに、立ち去り難いものがあった。この天候故の神々しい山々の魅力であったのか。脳ミソまで冷たく痺れてきたので、ようやく車にもどる。

しばらく、雪の山々を望むドライブの後、峠を越え、乾いたカスティーリャに入る。平地に下りた途端に赤い大地が広がる。ラ・マンチャの世界に踏み込んだ。

3月28日 León

レオン サン・イシドロ教会の天国

 イシドロ教会は一見、砦か要塞のような佇まいであった。全体的に汚れを落とされ、清潔感にあふれ、二つの扉口に掲げられたタンパンの彫刻も、見やすくなっていた。正面に向かって、右側の扉が『贖罪の門』で巡礼者たちのための門である。左側の門は『子羊の門』で、タンパン中央にキリストを象徴する子羊が掲げられ、教会の正門を構成する。どちらのタンパン彫刻もかなり象徴的ながら伝えたい内容が、しっかりと伝えられる表現力で、分かり易い。芸術としてよりメッセージ性が優先されているように感じる。タンパンのほかに黄道12宮や人物彫刻も加わり、スペインらしい濃い味のファサード構成が見られる。

旅の最大の目的の一つ、王家の霊廟の見学時間は16:30からだった。天井画のパノラマが売りだ。霊廟内へ。一面の鮮やかな天井画に驚かされる。フレスコ画であるが、その割には剥離も少なく、保存状態の良さが窺われる。『受胎告知』や『最後の晩餐』はもちろん『荘厳のキリスト』といったキリストの物語には必須の場面が次々現れる。宗教画としてはもちろんなのだが、所々に現れる庶民たちの風俗を知る楽しみもある。このような天井画を眺めながら、静かに眠るつもりでいた、アルフォンソ王は霊廟にまで現代の観光客が入り込んでくることを想像できただろうか。宗教美術の宿命ではあるが、建てられた場所、環境で見るのはこの上ない幸せなのだが、故人はそんなことは望んでいなかったと思うと、そのための慎みをこちらが持ち合わせていたのか、冷や汗ものであった。

上2、3段目右は贖罪の門のタンパン、十字架降下を中心に、右に復活、左に昇天のレリーフが。さらに右が鍵を持つペテロ、左が福音書を持つパウロ。2,3段目左は子羊の門のタンパン イサクの犠牲、アブラハムがイサクを殺める場面の他、右にイサクの出立などが彫られていた。一段目の中写真の人物像が聖イシドロ。右は聖ペラヨ

レオン サンタ・マリア・デ・レグラ大聖堂

ロマネスクではないがレオンのほかの建物も紹介する。大聖堂は巨大で尖っていた。ゴシックだから当たり前だが、ここでは両脇の塔がつかず離れずの配置で、主塔がアームを伸ばし、その塔を支えているように見える。実物の印象は全然違うのだが広角で撮るとまるでロケットの発射風景のように撮れてしまった。ヨーロッパのゴシックの大聖堂も随分と見てきたが、どこの都市でもその意匠には目を見張るものがある。ロマネスクの時代が建築的には丸いアーチに代表される調和の時代だとすれば、ゴシックは直線的でほかとの差別化、都市国家の象徴としての大聖堂であり、競合の時代だったことをうかがわせる。そこに為政者や建築者たちの意地が見えて、なかなかに興味深い。

大聖堂の前の道をまっすぐ進むと、新市街に出る。この道の両脇にレストラン、カフェ、土産店などが並び、賑やかな時間が過ぎていく。先に、ガウディの建物があるということで、歩いていった。その建物はガウディにしては実用的に見えたが、四辺の塔がいかにも彼らしいデザインであった。

パラドール・レオンのサン・マルコス修道院

  レオンの新市街の川の袂に、旧サン・マルコス修道院がある。ロータリーが幾重にも重なり、クルマで近づくのは難しかった。広大な広場の正面にこの修道院はあるが、その幅とスケールに圧倒される。一体何メートルあるのだろうか。近づけば、壁面いっぱいの彫刻群、現在のパラドールの入り口扉上には、馬上のヤコブの雄姿が彫られている。元々の修道院は王立のもので、12世紀の創建と聴く。ここにはレオンのロマネスクの宝が展示されている美術館があるのだが、残念ながら教会、美術館とも閉まっていた。4時ころの訪問で、時間的には開いているはずだったのだが……。教会の回廊だけは見学が許されていた。 

3月29日 León-Hospital de Órbigo-San Justo de la Vega-Astorga-Santa Catalina de Somaza-León

レオンからアストルガの巡礼路

この日は快晴。光溢れるカスティーリアである。アストルガに向かう。国道を走ると付かず離れず、時々脇に細い道が延び、サンチャゴ巡礼路の標識がある。時には、国道そのものが巡礼路となっている場合もある。市街地を離れると最高速度が70kmや100kmとなり、巡礼者にはかなりの風圧もかかってしまうのではないかと心配になる。途中のオスピタル・デ・オルビコに巡礼者に人気の橋があるというので寄ってみた。修復中で完全な姿ではなかったが、なだらかなロマネスク風の曲線が続く石の橋(上写真)で、巡礼者に人気のほどがうかがわれた。

この区間の巡礼者用の道しるべはかなり整備されていたが、巡礼者でなくても、こうした道しるべを捜し歩くのも、楽しい作業であった。一服中の彫像はサン・フスト・デ・ラ・ベガ近郊で見かけた。

アストルガ 大聖堂とガウディ

アストルガの大聖堂、付属博物館とも閉まっていた。大聖堂の正面はゴシックのファサードで飾られ、立派なものであったが、目的は側廊のロマネスク風?の動物彫刻であった。付属の博物館には彫金による宝物箱や板絵の聖人像が残されているはずではあったが……。大聖堂脇には一目でそれと分かる、ガウディの司教館がある。まるでお城のような建物で、司教館らしくはないが、当然そのデザインで大もめし、ガウディは途中で放り出してしまったらしい。ただ、このデザインがディズニーランドのシンデレラ城の元になったといわれており、地下のガウディはいま何を思うのであろうか。

巡礼の村サンタ・カタリーナ・デ・ソモサ

ポンフェラータに向かう巡礼路沿いをしばらく走ってみた。この区間は巡礼路の中でもハイライトらしく、整備も進み、巡礼者の足取りも軽そうであった。山道にかかる頃、巡礼路沿いの道を進むと、やがて石積みの塀に囲まれたSanta Catalina de Somazaという村に行きあたる。巡礼者を迎えるアルベルゴや教会などもあり、コンパクトにまとまった村の作りだった。風が強い地方らしく、全ての家が背を低く持している感じで、この先の巡礼路の村々の佇まいを想像させてくれる。撮影していると、一人の老人に声をかけられた。どうも、この村のアルベルゴのご主人らしく、「巡礼者か」と聞いているようだった。全く会話にはなっていないが、何か通じ合うものがあった。やはり、こちらがこの村の風情が気に入っているということが、伝わるらしく、一生懸命、この村の良さを説明してくれているようだった。こんなことでも心が暖かくなる。この村の教会も扉は閉まっていたが、脇の看板には1708年の創建とあった。もちろんロマネスクではないが、村人たちの手作り感が伝わってくる佇まいであった。その壁に気になる印がつけられていた。これはいったい何のだろうか。日本でも見かける印のように見えたのだが。

3月30日 León-S.Miguel de Escalada-Sahagún-Carrión de los Condes

モサラベの至宝サン・ミゲル・デ・エスカラーダ

あくる日も気持ちのいい快晴だった。まず、モサラベ建築の至宝といわれるエスカレーダ教会を目指す。巡礼路の街ビジャレンテでポルマ川を渡った後すぐに左折しなければならなかったようで、道を間違える。再びポルマ川沿いに進むが人里をどんどん離れていく。途中にサン・ペドロ修道院の廃墟遺跡があった。大規模なもので、フェンスを建て、保護をしているようであった。

この道、途中で大きく右に曲り、Uターンを繰り返しながら丘陵地帯を進む、遠く雪を頂いた山々が望め、素晴らしいドライブルートだ。やがて、山襞を回り込むように、めざすエスカラーダが突然姿を現す。乾いたカスティーリャの大地から造ったレンガ積みの教会であった。朝の光が優しく教会を包み込む。外観を撮るには、絶好だったが、側面歩廊を飾る馬蹄形の連続アーチの繊細な意匠に目を奪われる。柱頭には説話的なものはなく、アーカンサスを始めとする、植物模様のものがイスラムの影響を窺わせる。中に入るには2ユーロ必要だった。案内人が扉を開け放ってくれた。とたんに、三廊式の白い壁の内部が輝きだす。淀みのない凛とした空気の中、こうして一人でいられる幸せを噛みしめ、噛みしめ、撮影をしていると、団体さんのバスが到着した。それも2台も。やはり、この教会は人気の教会であるようだ。この空間との一体感を諦め、名残惜しかったが出発した。

巡礼路の"ムデハル"サアグン

さらにブルゴスに向かう巡礼路沿いを逆走する。快適なルートだった。時々は巡礼者も見かけ、綺麗に整備された並木道がアップダウンを繰り返しながら続く。サグアンという巡礼路のポイントの街に着く。ここにはムデハルを標榜する教会がある。ムデハルとはレコンキスタ後にスペインに残ったイスラム教徒をさす言葉である。大きな廃墟のサン・ベニート修道院教会の奥に、目指すサン・ティルソ教会があった。まず目に入ってくるのは、これまで見てきたロマネスクとは違い、赤いレンガを積み上げた横広のごつい塔があることだ。全体のバランスでいえば、塔が大きすぎるが、それだけ印象深い。イスラムの影響を色濃く残す教会の佇まいを撮っていると、一人の女性が近づいてくる。聞けば、この教会の担当員で、2時なのでこれから教会を開けるという。こんなラッキーもある。中は、ロマネスクのものは少なく、少し馬蹄形(イスラム)が入ったアーチや天井の木組みに見るべきものがあり、打ち捨てられた?柱頭の名残に、ロマネスクを見ることもできた。外観はブラインドアーチを形作るレンガの色の濃淡の組み合わせ、それをつなぐ目地の色使いにデザインとしての完成度をみる。この街には他にサン・ロレンツォ教会もムデハルであるらしいが、大規模な修復のため近づくことができなかった。

3月31日 Carrión de los Condes-Frómista-Burgos

カリオン・デ・ロス・コンデスのサント・ソイロ修道院

19時過ぎに、修道院ホテルにチェックインした。重厚な雰囲気で、廊下や部屋の造りが、今までのホテルとは全く違い、こちらの軽さがアンバランスだった。修道院から街の中心街へは丘を登らなければならず、車で出かける。

中心にもサンタ・マリア聖堂を始め、たくさんの教会があり、この町がこの地方の中心都市であることを窺わせる。ちょうど日の入りの時間となっていた。高台の教会には西向きのテラスがあった。雲が多く、大半を覆い尽くしていたが、西の地平に少し空きがあったらしく、橙色の陽が一瞬の輝きを見せる。いつものようにこの瞬間に流れる緊張となごみの時間を楽しむ。

 翌朝、修道院を霧が覆っていた。朝食後、修道院内を見る。チャペルの開門は10:00とのことで、内部は諦めたが、回廊や扉口の柱頭の質の高さには驚かされる。繋がれたモーゼの彫像など圧巻だった。

カリオン・デ・ロス・コンデス最古のサンタ・マリア・デル・カミノ教会

外壁の西側面にマリア像があり、南の扉口にはびっしりと彫刻が施されたポーチがあった。残念なのは、これらの彫刻は摩滅が激しく、一つ一つのテーマがまるで削られていってしまうように感じることだ。擁壁の役割を果たすように、扉口の両脇にアーチが取り付けられているが、この根元に『サムソンとライオン像』と『異教徒を踏みつけるコンスタティヌス帝の像』などがかろうじて原型を留めて配置されている。さらに扉近くには、牛の顔の柱頭が2頭づつ東西の両脇いる。これはモーロ人がこの街を襲ったとき、マリアに祈ったことで牛の大群が現れ、この街を救ったという伝説をあらわしている。中に入ると、ここでも人面の柱頭が目に付いた。丸い人面が並んでいるのである。明らかにポーチを飾る柱頭とは時代も彫手も違っているが、戦の折に打ち取った敵の首を鞍につけ、戦場を駆けまわったされるアイルランドやブルターニュ等の影響なのだろうか。街を歩けば巡礼路の街らしく、ヤコブの像や凝った意匠の道しるべのプレートを見つけることができる。

新築風完全無欠の柱頭世界フロミスタの サン・マルティン教会

 この街もこの辺りでは、大きな街の印象で、ガス欠寸前のクルマに給油もできほっとして、ロマネスクへ。最初にこれだと思い、撮影した教会はロマネスクではなく、道を聞き、裏手に回り込み、サン・マルティン教会に行きついた。    

このロマネスク教会は今まで見てきたものとは違っていた。新築のように真新しく、ケン・フォレットの小説『大聖堂』を思い出した。読まれた方も多いと思うが、大聖堂建築にかける人々の思いを縦軸にした物語で、完成した時の感動の描写が、そのままここに具現化されているようだった。ロマネスクの完全型を知るには、この教会をお勧めだと思う。ただ、時代の経過はすべて洗い流されてしまっているので、そうした風情を楽しみたいロマネスクファンにはあまり評価されないのかもしれない。内部の撮影も可だった。柱頭、持ち送りがいやというほど、たくさんの表情を見せてくれる。後で写真を確かめると、明るいロマネスクの彫刻群は、いつもと勝手が違い、若く溌剌として見えた。

4月1日 Burgos-Sto. Domingo de Silos-Quintanilla de las Viñas

サント・ドミンゴ・デ・シロスの奇跡

いよいよサント・ドミンゴ・デ・シロスだ。目的は朝9時のミサと回廊である。暗いうちに宿を出て、シロスに着いたのは7時頃だった。ブルゴスから1時間半近くかかった。

人気のない聖堂に、一人二人と修道士が現れ、それぞれの役割をこなしながら集まってくる。9時ちょうどに、静寂を破るように修道士の祈祷の声がドームに響く。ミサの参加者は村人より観光客が多いようだ。ここの修道士によるアレグロの修道歌はかつてゴールドディスクになったほどである。こうしたミサに偶然立ち会う機会も何度かあったが、信仰者でなくても、心洗われる瞬間である。歌声は軽やかに深く心に沁みる。

10時になると回廊のドアが開く。三々五々観光客が集まりだし、10人ぐらいなったころでガイド付きの回廊見学が始まる。今回の旅の目玉の一つだったので、気合が入る。一歩入ると、やはり空気感が違っていた。見事に整列している列柱のリズミカルな並びにまず感動する。いつも思うことだが、回廊の光の使い方はファインダーをのぞくと特に強調されるようだ。朝か夕刻尋ねると特に影と光の幅が広く、より美しく見える瞬間がある。

ここでの見どころはなんといっても四隅を飾る浮き彫りパネルだ。中でもトマスの不信とエマオの巡礼が傑作といわれているが、昇天、降臨といった場面でのリズミカルな群衆の描き方や、その効果を高める、優美な足の流れに、心を奪われる。なぜこのような彫刻が可能になったのか、スペインという国の芸術的奥深さに、しばし、酔う。

サンタ・マリア・デ・ララ教会の固い扉

  シロスからブルゴスへの帰りに、キンタニーリャ・デ・ラス・ビニャスという村に寄った。 

  この村を抜け、丘を上ったところにある、サンタ・マリア・デ・ララという西ゴート時代の教会に寄りたかったからである。ここの見どころは太陽と月の神、天使の彫刻パネルなのだが、ここも開いてはいなかった。大きな石の外壁に刻まれた、魅力的なメダイヨンの浮き彫りを撮るに留まった。ここは本当に残念だったので、この夏にカタルーニャ方面のロマネスクを訪ねた折にも再チャレンジをしたが、またしても、フラれてしまった。太陽と月の神にまだ来なくていいといわれているのだろうか。 

4月2日 Burgos-San Millán de la Cogolla-San Juan de Ortega

山のスソと里のユソ修道院

スソとヨソの修道院に向かう。ブルゴスからは東進することになるのだが、それだけピレネーに近づくことになる。高速を降りしばらく進むと雪を頂いた山並みが遠望できる。途中のカルザラの街でOja O Glera川を渡るが、ここからの川と山並みの眺めは清々しいものだった。

スソ・ヨソに近づくと、丘陵地帯のスペインを走る醍醐味を味わえる。集落の高みに教会の尖塔が聳え、背後の山並みが色を添える。構図に困ることのない風景の中を一気に進む。

山襞に隠れるようにユソの大修道院が迎えてくれる。ここでもこの日はお休みであった。目指すスソは山の中腹にある、普段は通れないバスの専用路だが、何台かが入っていくので、続く。ヘアピンの連続する道がどんどん高度を上げる。展望が開け、ユソ修道院の大伽藍が下方に広がる。

 6世紀に創建され、10世紀にモサラベ様式として再建されたスソ修道院は、山の中腹にある。一部が岩肌に取り付いたような佇まいだが、周りの木々とのバランスがいい。聞けば聖ミランが隠遁していた洞窟がそこにはあり、囲むように聖堂は建てられたという。正面ファサードの佇まいが良い。簡素ながら扉口や持ち送り等が古典的な幾何学模様とでもいうのだろうか、イスラムを感じさせてくれる。比べて後陣は方形で何もなくさっぱりとした印象であった。

夏に行き直したときは中に入った。確かに岩山を抉ったような洞窟があり、そこに聖具等も並べられている。目に付くのは馬蹄形のアーチの扉口で、モサラベの由縁であろうか。また、感心したのは、修道院は二廊式であるのだが、隔てる壁を含め、建物全体が岩肌に添うように曲げられていた点である。この辺りに当時の建築技術の高さが窺われる。

スソ修道院へはユソ修道院のインフォメーションで見学とバスのセット券を買い専用のバス停でバスを待つ。乗り合わせた乗客が一グループとなり、見学することとなる。券の発売場所、バス停の場所等が分かりにくいので要注意。写真はスソ側のバス停。

パノラマ柱頭を展開するオルテガ

巡礼路沿いの、宿場町で教会のあるオルテガに向かう。オルテガの教会は工事中だった。ただチャペル部は入れるので、工事道具が置かれる中、入る。一瞬暗闇になる。堂内は冷気に包まれ、巡礼者が昼寝中であった。ここでは柱頭が外せない。時代が違うものがあるらしいが、物語性のある柱頭や戦模様をあらわしたものまである。中でもご生誕関連のいくつかのシーンを3面であらわした柱頭(上写真)が圧巻で、12世紀の作とされている。受胎告知、ご訪問等、その一体一体のリアリティに驚く。悲しみ、喜び、畏敬、そして困惑の表情までもがストレートに伝わってくる。この狭い空間にここまでの時空を留める表現が可能であるとは、ただただ驚きである。もう一つ騎士の戦闘を表した柱頭はシャルルマーニュの騎士ローランドとムーアの巨人との戦いを表しているとあった。襲い掛かろうとする馬の興奮、馬上の騎士の楯や装備、一方巨人側の楔帷子や削られてしまっている大太刀等楽しめる柱頭である。また、下2段目の受胎告知の柱頭は毎年春分の日と秋分の日に、教会横の窓から差し込む陽が直接当たることでも有名である。

ブルゴス以降山岳地区のロマネスクは次回ご紹介。

なお、写真、文章の無断転載©を禁じます。時代や固有名詞等の誤り関してのご指摘歓迎、美術史家でも建築史家でもありませんので、思い込みありをお許しください。岩越